
忘れられた技:酒母四段仕込み
日本酒造りにおいて、かつて複雑で奥深い味わいを生み出すために用いられた技法に「酒母四段」があります。今ではほとんど見られなくなった、この伝統的な手法は、その名の通り、酒母を四段階に分けて醪(もろみ)に添加していくところに特徴があります。通常の酒造りでは、酵母を培養して作った酒母を一度に醪に加えて発酵を進めます。しかし、酒母四段では、まず少量の酒母を醪に加え、じっくりと時間をかけて発酵を促します。そして、発酵の状態を見極めながら、二段目、三段目、四段目と、段階的に酒母を添加していくのです。この手法の利点は、醪の発酵を穏やかに、そして緻密に制御できる点にあります。一度に大量の酒母を加えると、発酵が急激に進み、味わいが単調になりやすい一方、酒母四段では、ゆっくりと時間をかけて発酵を進めることで、複雑な香味成分がじっくりと醸し出されます。例えるならば、一気に火力を上げて調理するのではなく、弱火でじっくりと煮込むことで、素材の旨味を最大限に引き出すようなものです。しかし、この酒母四段は、非常に手間と時間がかかる技法です。醪の状態を常に注意深く観察し、最適なタイミングで酒母を追加していく必要があり、熟練の杜氏の経験と技術が欠かせません。また、現代の酒造りでは、効率性と安定性を重視するため、このような時間と手間のかかる手法は敬遠されがちです。そのため、酒母四段は、今では幻の技法となりつつあります。酒母四段で仕込まれた酒は、現代の酒とは一線を画す、独特の風味を有していたと言われています。穏やかながらも複雑で奥深い味わいは、まさに匠の技が生み出した芸術品と言えるでしょう。現代の効率重視の酒造りでは再現が難しい、その味わいを、今改めて知る術があればと願うばかりです。