灘目三郷

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日本酒

歴史に彩られた上灘目郷:日本酒のふるさと

日本酒の有名な産地である灘五郷。その名を聞けば、多くの人がおいしいお酒を思い浮かべることでしょう。この灘五郷の中でも、西郷、御影郷、魚崎郷という三つの地域は、特に「上灘目郷」と呼ばれ、歴史的に重要な意味を持っています。時は江戸時代中期、明和年間(1764年~1772年)に遡ります。この頃、「上灘目郷」と「下灘目郷」、そして「今津郷」の三つの地域を合わせて「灘目三郷」と呼ぶようになりました。つまり、現在の灘五郷の原型は、この「灘目三郷」であり、その中核を成していたのが「上灘目郷」だったのです。言わば、灘五郷の礎を築いた地域と言えるでしょう。現在、灘五郷は兵庫県神戸市東灘区に含まれていますが、「上灘目郷」はその中心的な役割を担い続けています。古くからの伝統を守りながら、現在も良質なお酒を生み出し続けているのです。六甲山系の豊かな地下水は、この地で酒造りが発展した大きな要因の一つです。良質な米作りにも適した気候風土であり、おいしいお酒を作るための条件が揃っていたと言えるでしょう。そして、何よりも大切なのは、この地で酒造りに励む人々の熱意です。代々受け継がれてきた技術と経験、そして常に最高の酒を造ろうとする情熱が、灘五郷のお酒に特別な味わいを生み出しているのです。灘五郷で造られる日本酒は、まさにこの地の風土と人々の努力の結晶です。これからも、その伝統と味わいは、多くの人々に愛され続けることでしょう。
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今はなき酒どころ、下灘目郷

江戸時代中期、明和年間(1764年~1772年)のことです。今の兵庫県西宮市周辺で、酒造りが特に盛んな三つの地域がありました。上灘目郷、下灘目郷、そして今津郷。この三つの郷をまとめて、人々は「灘目三郷」と呼んでいました。灘目三郷の中心である上灘目郷と下灘目郷は、現在の灘五郷の西側に位置する、酒造りにとってまさに恵まれた土地でした。まず、酒造りに欠かせない良い水と米が豊富にありました。そして、六甲山から吹き降りてくる「六甲おろし」と呼ばれる冷たい風。これは、酒の発酵を穏やかに進め、雑菌の繁殖を抑える効果があり、酒蔵にとって理想的な環境を作り出していました。このような好条件が揃っていたため、灘目三郷は江戸時代中期から後期にかけて大きく発展しました。上方(関西地方)における重要な酒どころとして、灘目三郷で造られた酒は「灘の酒」として高い評価を受け、江戸やその他の地域へも盛んに運ばれ、多くの人々に愛飲されていました。その品質の高さから、灘の酒は贈答品としても人気があり、人々の暮らしに深く根付いていました。しかし、明治時代以降、酒造りの技術革新や流通の変化などにより、灘目三郷という呼び名は徐々に使われなくなっていきました。そして、西宮郷、今津郷、魚崎郷、御影郷、西郷の五つの郷をまとめて「灘五郷」と呼ぶようになり、現在では灘目三郷という名称を知る人は少なくなっています。かつて、上方の人々の生活を彩った灘目三郷の酒。その歴史を知ることで、今の灘五郷の繁栄の礎を垣間見ることができます。